テレワーク3ヶ月が過ぎて

4月からテレワークを開始して、3ヶ月近くが経とうとしている。
6月は5割の出社だ。7月はまだどうなるかわからない。
自宅での仕事も全く問題ないレベルまで日常的になった。
生産性も全く問題ない。

 

しかし家で仕事が成立する時代が来るなんて、本当に夢のようだ。
改めてその凄さを実感せずにはいられない。
これって鉄腕アトムですら想像できたせかいなんだろうか?
インターネットが誕生して、それを基盤とした仕事が興隆して、
インフラも整って、、、といった諸条件が揃って初めて成立するのだ。
幸いにというか、自分の環境はどれも満たしている。結果的に。
PCは年始に評判のRyzenに載せ換えたし、モニターもLGの4Kなので
むしろ会社よりも環境は良い。
もっともノートPCはを会社から性能のいいものを与えられているので、
問題はない。
椅子もITOKIのOAチェアだ。
一応冷暖房も完備している。


何より素晴らしいと思うのは、朝の日の出から、昼の日差し、夕方の
夕焼けと一日の自然の推移・変化を感じながら仕事をして一日を過ごせるという
幸福を味わえることだ。
人に貢献しながら1日の自然の経過をトレースできる。
これは相当な幸福感である。
起き抜けにジョギングして、汗を掻いたウェアを洗って干し、乾いていく様を
感じながらする仕事。
すごく人間的な気がする。

 

窓もなく、1日の変化もわからず、上司の監視のもと、くつろぐこともできず、
無用な視線、無用な会話を聞かされながら、生産性のない通勤をして、生産性の
ない上司の管理を受け、、、
会社に出社するとは一体なんだったのか、、、
改めて考えざるを得ない。
コロナはそんなきっかけを与えてくれた。
幸い自分はコロナにかかっていないし、身内も無事にに暮らしている。
感謝するばかり。


で、出社日の話。
割と重いノートPCとACを持参して電車で出勤。
満員ではないが座れない。
やはりストレスのもとであり、必要な時間とは思えない。

出社してから、、
トイレに行くにも水を汲むにもいちいち遠くまで歩く。
時間の無駄。

 

地味にというか結構うざいのが視線。
目の前の人、斜め前の人、割と離れた視線の先にいる人。
集中していても気になるときは気になる。
相手は気にしていなくてもこちらは気にする。
そのたび集中が途切れる。
このあたりのUI/UXを会社・総務はもっと考えるべき と
思うのは自分だけではないはず、、、
家なら皆無。

あと電話やZOOMの声。
これもなんとかしてほしいな。
こっちは集中しているのに、全く関係ない仕事の会話を聞かされる
立場になってほしい。
もっともこちらは対処の方法がある。
自分はWMを取り出してノイキャンでクラシックを流している。
それでも気になるときはROCKにするW

ZOOMも家なら落ち着いてできるが、会社だと周りに迷惑をかけて
いないか気になる。
イヤホンも鬱陶しいし。
会議室は確実に死後になるな。
いろんな意味で革命だな、コロナという大義名分のもとに。
不要なものは淘汰されたし、本質が浮き彫りになった。
そのアオリを受けた人たちがいることも忘れてはいけない、、、

 

ただ自宅でもデメリットはある。
やはり自宅はくつろぐ場、大切にしたい休息の場。
そして何よりプライベートの場。
いわば、自分にとっては神聖な場だ。
そんな場を仕事場として提供するのはいささか抵抗感が今でもある。
なんかプライベートが侵されている感覚はある。
上司いわく、zoomではカメラをONにすべきだといっていたが、
大半は無視している。
上司は相変わらずONだがW
そもそもいつも不機嫌な顔つきだし、そんな顔を晒されても誰得なんだ?
いいかげんOFFにしてほしいと思っているのは自分だけではないはずだ。
しかし驚くべきことに数人は頑なにそれを忠実に守っている連中もいるから
驚く。
まぁ忠誠心を表現するのは勝手だが、その上司がいない場でも変わらずなのは
滑稽としかいいようがない、、、

 

ただ、唯一出社することに価値があるとするならば。
それは自習室としての役割だ。
ずっと家だとさすがに不安になる。
散歩したり走ったりと工夫していても所詮は変化に乏しい。
週に2回程度の出社ならば、気分転換になる。
冷房完備、コピー機も完備(最近はあまり使わないが)、机と椅子もある。
チャットやメールしづらいことも対面ならお願いしやすい。
昼食もそこそこ美味しいものを食べに行ける。
多少は運動にもなる。仕事した感がある。
そんなところだろうか。

 

Kendrick LamarのTo Pimp a Butterflyを聞きながら書いたからかわからないが、
愚痴っぽく攻撃的な内容になってしまった。
少なくともコロナもひとまず収束したかに見えるいま感じていることだ。