西村賢太と村上春樹の両極性

何年ぶりかに西村賢太の作品が読みたくなって、何やら難しいタイトルの「蠕動で渉れ、汚泥の川を」を手にとった。

 

蠕動で渉れ、汚泥の川を

蠕動で渉れ、汚泥の川を

 

 

初っ端からうまく情景がイメージできず、ネットで検索しながら読み勧めてみる。上野の壁画とかかんたんに検索できて良い時代になったものだ。

昔の上野なんかを思い出しながらノスタルジーにも浸る。

そして徐々に西村節が顔を出し、後半に向けて一気に炸裂していく様は圧巻としかいいようがない。

電車の中や出張中の飛行機の中でも読んだのだが、これほど人前でも笑ってしまう小説はそうそうないだろう。

そしてどうにも読み込むほどに、自分の性格が悪くなっていくように感じるのは、いささか困りもだ。そう、例えると毒というか、副作用の強い劇薬、といったところだろうか。例えが悪いが、駄目だとわかっていてもやってしまう麻薬のようなものだろうか。(あくまで想像だが)

それは途中で読むのをやめようかとすら思うほどだが、それでも面白さにまけて没頭してしまうのだ。

変わった文体というか単語が登場するのも特徴的だ。すらすらと読める反面、意外としっかり集中していないとおきざりにされるという緊張感もある。

今回は「ふとこる」という単語が聞き慣れず、何度も読み返してしまった。ただし意味がわからなくても文脈から「適当に」意味を補えばよく、あまり難しく考えることもないとうのは読み進めていくうちに理解できた。

それにしても日本語の使い方がこれほど秀逸で、リズミカルで、的を得た作家というのも稀有である。ここぞというところでこんな表現を使うのか、と目から何度も鱗が落ちた。

早くも次の作品が読みたくなってしまった。

 

ところで、この作品の前は、村上春樹ダンス・ダンス・ダンス・を読んでいた。

 

ダンス・ダンス・ダンス(上) (講談社文庫)

ダンス・ダンス・ダンス(上) (講談社文庫)

 

 

なので、自然と作品の対比をしてしまった。その全くの作風の間逆さに驚いた。

村上作品の主人公は、正真正銘の「スタイリスト」だし上品だ。読んでいても好印象だし精神衛生上よい。

せっかく清涼剤ですがすがしいところに、劇薬を飲んだことでいっきに「ダークサイド」に落ちたような気分でなんとも複雑な気分である。。

 

そいういえば あまり関係ないが、「どうで死ぬ身の一踊り」なんて作品もあったりして面白い。 

 

どうで死ぬ身の一踊り (講談社文庫)

どうで死ぬ身の一踊り (講談社文庫)