黒板に思う生産性の低さ

自分が学生だったころは何ら疑問にも思わなかったこと。

しかし授業参観などいくようになってふと思った。

なぜ先生の授業は黒板を使った授業が前提なのかと。

何が言いたいかというと、黒板に書いている時間がものすごく無駄だということだ。

先生によっては書くのが遅い人もいてなおさらだ。

もっというと、それを生徒が盲目的に一生懸命書き写すという懐疑的な行為。

残念ながらそこには生産性があるとは思えない。

もっともひとによってはそのことでしっかり頭に入って役立った人もいるのかもしれないが、自分のことでいえばほとんど効果はなかったように思う。

黒板を使う先生も書き写す生徒も、やった感、自己満足感を満たす行為と考えられるフシはないだろうか。

手段が目的化していないか考えて見る必要がある。

昔ならいざしらず、現代であればあらかじめ書いてあるものをモニタに写すなど工夫の余地はあるはずである。少しでも工夫して浮いた時間をもっと生産性の高い密度の濃い授業に変えられないだろうか。

相変わらず学校は旧態依然として、変革が必要な組織である。

もちろんそのためにはそれなりの予算も必要なはずなので、国レベルでしっかりサポーとしてもらいたい。